狂人となつた島田清次郎君を精神病院の一室に訪ふ記
藤原英比古

 暗いところに種を蒔いて、ごく僅かな光線しか与へないと、その芽は苦もなく生長して、青白い細長いものになる。所謂『(もやし)』は、かうしてできる。萌は結局もやし(、、、)で、種にはならぬ。
 どんなに早く成長したにせよ、それが(やが)て花を咲き実を結ぶ植物になるとは期待し兼ねる。
 立派な樹木、丈夫な草木になる筈の種を、単に『(もやし)』に終らせるのは、却つて場所を暗くしたものにその責めはあるわけだ。
 青春二十一二で一躍文壇の寵児となり、名を天下になした『天才』島田清次郎君は、今『狂人』として、東京市外巣鴨の保養院の一室に淋しく療養してゐる。
 彼は実に『天才』といふ世評に反かず、その出世は早かつたが、またあまり綺麗に『天才と狂人』の距離の近いことを説明してしまつた。
 『天才』が『狂人』になるのは、医学上からは少しも不思議はないさうだが、社会が天才に対して非常な賞讃を送り、優遇をしながら、狂人に対しては牢獄のやうな生活を味はせる点から考へると、両者の懸隔は甚だしいやうに思はれる。
 天才待遇を受けた時代、島田君はその若さ故に少々図に乗り過ぎた嫌ひはあつたらう。そして例の舟木氏令嬢に関する事件などを惹起し、だん/\世の信用を失ひ、果ては自殺説まで伝へられたりした。そして今、狂人としての扱ひを受けるに至つて、寧ろ可哀相なほど侮蔑と嘲笑とをあびせられてゐる。
 社会はかういふことが大好きである。常に人をからかひたがる様子が見える。島田君は、実は完全にそのからかひものになつたわけだ。
 しかしたうとう本物の狂人になつてしまつたと聞いたとき、私は何となく気の毒だといふ感じがした。かうなればもう、本人の軽率をのみ責めるよりも、罪つくりをした社会の態度を、何とか言つてやりたくなる。
 兎も角、私は一度本人に会つて、その近況を知りたいと思つて、保養院に彼を訪ねてみた。
    ◇
 保養院は板橋街道の庚申塚と言はれるあたりにある。昔はこの辺は所謂、武蔵野の一隅として、淋しい辺鄙なところだつたかも知れないが、今は狸もお化も出ない、市内そつくりの賑かさである。しかし朝夕、牛車、馬車(その殆ど全部が糞尿車)の往来が夥しく、やはり街道気分は充分残つてゐる。争はれないものだ。
 『保養院』といふ大きな門札が赤煉瓦の門に掲げられ、石畳が八つ手の植込を巡つて玄関に導いてくれる。若い可愛い看護婦さんが受附にゐて、丁寧に応接室に案内してくれる。この看護婦さんが気に入つた。誰か自分の身寄のものが狂人になつて、この保養院に入院すればいゝになア、そしたら‥‥ヘヽ‥‥毎日来られるになアと思つた。
 先づ係の医師に来意を告げ、島田君の日常について聞くと、この頃は病状も良好の方だが、時によると煩悶して終日泣いたりすることはあるさうだ。そしてよく『紙をくれ。』と言つては原稿用紙を請求して、鉛筆を走らせたりするが、無論、まとまつたものはできないといふことだつた。
 私がスケッチブックを用意して来てるのを悟られたとき、医師側の態度は急変して『折角だが面会はお断りしたい。』といふことになつた。そして更にかう言つた。『兎も角あの人は天才ですから、病院でも公費の患者であるけれど、特別に丁寧に待遇してゐるんです。今、病を得てゐるからつて、見世物扱ひにされては困りますので‥‥。』との挨拶。病院は決して精神病者とも狂人とも言はない。どこまでも天才々々といふ。そこに医者らしい態度が見受けられる。且また公費の患者だが、特別丁寧に待遇してゐるといふことは、彼のために大いに満足に感じたが、同時に公費患者の他のものは特別丁寧の部に入らないんだナと思ふと、ちよつと変な気になつた。
 さういふことは問題外として、こゝまで話が運んでゐながら、急に会はせないとは一寸閉口した。そこで自分の頭の中にスケッチする決心をして、『それではこのスケッチブックはお預けいたしますが。』といふ条件を出しても許さないといふ。つまり特別丁寧の患者であるだけに、初対面のものには成るべく会はせないやうにしてゐるのは事実らしい。
 しかし私がこの病院を訪ねる動機からして、彼を見世物扱ひにする積りでもなければ、無論またからかひなぞに来てゐるわけではないのだから、先方はどうでも、私の方では会う必要も四角もあると信じてゐる。兎も角願ひを許して貰ふ。
    ◇
 長い廊下を案内してくれる白服の医師の手には、冷たい鍵が光る。何となく陰惨な気持になる。『狂人のをる病院だナ。』と強く胸を衝くものがある。カチャ/\と鍵の音がして、重い鉄格子の(ドア)が静かに開く。体一ぱいピリ/\とする。
『をるかな? 機嫌はいゝかナ? 大風呂敷を拡げられるかナ? それとも相手が相手だからつかみかゝられやしないかな?』こんな想像が瞬間に閃く。
 扉の中はすぐ彼の室になつてゐるわけではない。更に廊下があつて同じやうな病人達の部屋が並んでゐる。そして可哀相な人達が、明け暮れわけもなくカラ/\と笑つてみたり、泣いたり、または怒つたりして、社会から全くかけはなれた日を送つてゐる。島田君の室はその一番はづれだつた。
 あらかじめ訪問者のあることを知らされてゐてか、やゝ入口に近いところにキチンと正坐してゐた。
 部屋は古びた六畳で、両方は冷たい壁で、入口に対した方は岩乗(がんじょう)な鉄の格子の窓を通して、貧弱ながら木立の庭を眺められる。彼は木綿の粗末な縞の着物を着てゐて、顔色はいくらか蒼白だつた。
 挨拶しても黙つてゐる。話しかけても返事をしない。たゞ如何にも不安さうに、怯えた眼付で私を凝視してゐる。私が初対面であることに、多大の不安を感じたらしい。夜具は窓に近いところに敷かれて、掛蒲団は蹴脱いだまゝの恰好をしてゐた。無論粗末な煎餅蒲団に過ぎない。枕頭には二三の古新聞紙をおいてあるほか、何一つの品物も装飾も見当らない。私までが淋しい、いたましい気持になる‥‥。
 私は快く世間話でもして見たいつもりで来たのだが、島田君に取つては、もう私が前に坐つてゐることが厭で/\ならないやうな態度である。それでも私の言葉を注意深く聞いてゐて、少しでも私の弁にもつれが来たりして不明瞭になると、『えー?』と、大変大きな声で反問する。少し何か話でもして貰ひたいと思つて問ひかけると、くるりと横向きになつて、『しつこい。』とか『うるさい。』とか嘆息する。時には『誰かゐませんか?』と大声を出して人を呼ぶ。私ももう、いゝ加減にへこたれてしまつた。
『こりやまだ本物だナ。』てなことを思ふ。
 スケッチさせてくれるやうに頼んでみると、絶対にいやだと言つて、『あなたが、少しでも常識をもつてゐられる方なら、私が今、どこにゐるかといふことをお考へになつて、戴きたい。』と悲痛な面持をして、部屋を一あたり見廻した。その態度といひ、言語といひ、堂々たるものである。かういふところは決して常人の道を外れてはゐない。
 あらかじめ医師の注意で、贈物として原稿用紙と鉛筆とを持つて来たのを出すと、受取らない。『原稿紙が何です?』その語気は鋭かつた。私はもう私の方が気でも狂ひさうになる。しどろもどろにその寸志を語る。『兎も角私はあなたは知らない人なんですから‥‥戴くわけにはゆきません。』更に言葉をつゞけて、『御覧の通りの有様で、今は文筆は執りません‥‥。』さうですか、へい/\といふやうな風に逃げ出すよりほかに道はなくなる。
 最後に島田君の知人や先輩の名を少し出すと『あなたは知らない人だけれど、私をお見舞くださつたことはありがたうございます。あなたが社会(・・)へお帰りになりましたら、どうぞ、そんな方々にもよろしくお伝へください。』といふ。その『社会』といふ言葉が気のせゐかズキンと来る。仕方がない。引きあげる。
 医師に向つて『まだ余程悪いんですね?』と言つた私の、このときの感じは、これだけだつた。
『原稿紙はいらないつて言ひますか‥‥私があげると喜んで貰ふんですが‥‥。』さう言つて持てあました私の贈物を預つてくれた。
『やれ/\。』そんな気持になつて病院を辞した。道々、『気の毒だ、可哀相だ。』といふ気持で一ぱいだつた。
    ◇
 現在の状態から見ると、島田清次郎君は結局人間の(もやし)みたいなものだ。しかもそれは本人の軽はずみな点にもよるが、より大きな責は社会でも負はなければなるまい。
 私は島田君の著『早春』の中の一句を、もう一度御自身に味つてもらひたい気持がする。
 清次郎よ道は遠い
 あせるなかれ
 へまなことをするなかれ
 笑はれるやうなことをするなかれ
 偉大なものの生れ
 世が尊敬せずにはゐられなくなる迄まて!
 もうどこへもやるな
    ○
 卑屈を去れ
 哀れをこふな
 自分一人、堂々とゆけ。

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 未だ島田君には本気はある。思慮もある。きつと先刻の私の訪問‥‥そして矢継早の話振りを不快に思つてゐるだらう。侮辱されたやうな気になつて憤慨してはゐないかしら‥‥そんな気がしたので、私はもう一度病院を訪ねて、私の訪問後の彼の様子を聞いてみた。
『いゝえ、キョトンとしてゐられますよ。』
さうか、安心した。矢張り未だ病人だ。
底本:「主婦の友」大正13年12月号

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